思い返すと大変だったよね・・・イクメンオットさんの家族育成奮闘記
ご心配お掛けしております。。。
風邪も随分良くなって通常運転に戻ってまいりました!
前回のオットさんの記事にたくさんのブクマとスターをありがとうございます!
思わぬ反響に驚きオットさんに「すごいよーO(≧▽≦)O」と報告するも「そうなんだー(゜-゜)」と気のない返事"(-""-)"
スイマセン。妻に興味はあるようですが妻のやっている事にはあまり興味のないオットさんです。
そもそも彼はどうやってイクメンにすくすくと育っていたんだろうか・・・と思い返してみると・・・
なんだか私、手の掛かる嫁だったな と思う過去しか思い出せない(^^;
今は少しだけ改善されましたw
いい機会なのでちょっと振り返ってみる事にしました。
大人になりきれない縛られたくない妻
結婚した時、私からの条件は「仕事がしたいので子供はいらない」でした(^^;
もうのっけから酷いね
理由は仕事でしたが実際には家庭に縛られず自由でありたいとか子供を育てる自信が全くないというのが本音だったと思います。当時鬱で抗鬱剤、安定剤や睡眠導入剤など多量の薬も飲んでいたのも理由の1つです。
どうせ私なんてまとも子育てなんて出来ないし虐待でもしたら大変な事になるから絶対に子供はいらない。
頑なに子供を持つ事は拒んでいました。仕事や友達と遊ぶのが楽しかったのもあり仕事はシフト制だったのですがオットさんに相談せずに急に仕事を入れたり遊びに出かけて次の日まで帰らなかったり家庭を顧みない妻でした。オットさんと喧嘩する事も多く衝突すると実家に帰ってまた何日も帰らない。仕事で帰りも遅かったのでまともに家事もしない。。。
喧嘩をすれば「嫌なら離婚すればいいでしょ?私は構わない」と思ってもいない事を口走っていました。今思うと私が子供過ぎて申し訳なさでいっぱいになります。
すれ違ってばかりの夫婦でしたがそれでもオットさんは自由にさせていてくれました。
結婚3年目、オットさんが動き出す
そんな遊び倒していた私が結婚3年目に入ろうとする年末・・・衝撃的な物を目撃します。オットさんが自分が出す年賀状に「そろそろ子宝に恵まれたいです」と1枚1枚記載していたのです。
しかも手書き!呪いかと思った・・・(^^;
私には結婚の時に約束してから一切子供の事は言った事がなかったのに・・・諦めてなかったんですね。その年のお正月、会う人会う人に「そろそろ子供が欲しいんだ」と語っていました。
家族になりたいオットさんと抵抗する妻
「あのね、家族になりたいんだよ。だから子供が欲しい」
そう面と向かって言われたのはその年の2月ぐらいだったと思います。薬を飲んでいる事も知ってるのに!仕事だって辞めなきゃならなくなるのに!大変な思いをするのは女なんだから!子供がいなきゃ家族になれないの?!と私は怒鳴り散らしたと思います。
それでも何度も何度も説得され「産んでほしい、何でも出来るとは思ってないでもサポートするから」と言われて私自身子供を持つと言う事を真剣に考え始めました。
友達の叱咤激励
相当悩んで当時よく遊んでいた年上の友達に相談しました。
うんうんと話を聞いてくれて彼女は言いました。
「あのね、私も家族が鬱になった事があるけど薬に頼っている間は鬱は治らないよ、かなちゃんは色んな事から今は逃げてる」
彼女もオットさんも私の成育歴を知っていて結婚してやっと家族から離れられた私を当時は自由にさせてくれていたんだと初めて感じました。
余談ですが山口智子さんが雑誌で「子供を持たなかった事に後悔はない」と発言していた事が話題になり取りざたされていましたが、私はそれはそれでいいじゃないかと思います。どうしても子供を持つことが苦しく感じる人もいるし自由な時間があるから自分らしく生きられる人がいてもいいと思う。
今はありがたい事に娘が2人授かって私は子供がいる人生で良かったと思いますが女性にとって子供を持つ事が絶対の幸せだとは思っていません。
ただ生き辛い部分があるのも事実のようですが(^^;
焦る抗鬱剤の減薬
妊娠する事で一番不安だったのが薬を飲んでいる事
止めなくては担当医に相談しなくてはと思えば思うほど実際に動く事が出来ず勝手に減薬を始めてしまいました。だんだん不安感が強くなり様子がおかしくなってきてオットさんが気が付きました。「気づかなくてごめん、不安な事は何でも言っていいから」と言われオットさんがその日は1人心療内科に相談に言ってくれました。
帰ってくると「焦らすつもりはなかったんだ、説明が足らなくて悪かった子供はいつかと思っていたから」すぐに妊娠できる体にならなくてはいけないと私が勝手に焦っていたんですね。
その後会社の都合で所属部署がなくなり他店舗に移動を勧められましたがこれを機会に会社を退職する事にしました。
仕事を辞めて急に気持ちが楽になったのか薬は徐々に減らす事が出来ました。
不安からのつわり、そして切迫流産
薬がどんどん減っていき体調も安定してきて数か月、無事に妊娠する事が出来ました。
妊娠が判明した時のオットさんの喜びようは周りが驚く程で毎日嬉しそうにしていました。まだ私が不安定な部分もあったので健診も仕事の都合を付けて出来るだけ一緒に行ってくれました。
安心したのも束の間酷い吐きづわりがやってきました。とにかく毎日気持ち悪い。吐いた一瞬だけすっきりするもののまた気持ち悪さがやってきます。食べれない動けない・・・どうにもならず点滴をしてもらう事もありました。
妊娠の不安が強い人につわりが強く出る事もあるそうですね。
1人で家にいる事も不安に感じるようになりオットさんに相談すると「実家に帰っててもいいよ」と言ってくれたのでそこからしばらくつわりが落ち着くまでは実家にいようと思っていた矢先に実家にて大量出血。
切迫流産でそのまま実家近くの病院に入院する事になりました。点滴でベッドの上で絶対安静。トイレ以外は動く事が許されませんでした。
ベッドの上でお腹の赤ちゃんに「お母さんが頼りなくてごめんね」と毎日泣きながら過ごしました。
オットさんにはかなり心配を掛けてしまい病院から職場まで片道2時間の通勤を1か月半、退院するまで続けてくれました。
やっと落ち着けた安定期
妊娠5か月近くなりようやく体調も安定してきて退院ができました。
実家近くには産科がなくこの時の入院は市立病院で特別措置で入院していたので「早く自宅に戻って掛かり付けに行きなさい」と言われていたので実家滞在は切り上げ自宅で大人しくしていました。
産科が少なく里帰り出産が出来ないのも子供が産みにくい原因の一つですね。
だいぶ落ち着いてきたのと私に気分転換をさせてあげたかったのか水天宮の安産祈願を泊りで行こうと誘ってくれました。
この時は私の体に気を使ってくれたのかエグゼクティブフロアにしてくれたのでお腹が空いた時にラウンジでパンが食べられたりPCも自由に使えたりととても快適でした。マタニティマッサージも頼んでいてくれたので久々に癒されてきました~
切迫早産からの入院
あと2か月で出産予定日という時にまた出血。 「切迫早産だから絶対に安静。年末年始は出来るだけ寝ていてね」と担当医に言われてお正月は寝正月になりました。
その年はオットさんがせっせとおせち準備と大掃除を頑張ってくれました(*^^*)
「赤ちゃんのふとんや抱っこ紐も選んでたの買っていい?」と色々と準備や買い物を1人で行ってきてくれました。わからない事はネットや雑誌を買ってきて調べていたようです。
あと少し、あと少しもう少しお腹にいてねと祈りながら毎日カレンダーを眺めていました。でも残念ながらあと1か月という所で入院。羊水の量が減ってきたしまったので経過観察の為でした。
そして夫婦で出産、父になる
入院生活、6人部屋で快適とはいえませんでしたが同じ妊婦さん同士、時にこれからの子育てに泣いて時に笑い賑やかに過ごしました。1か月半入院して出産子育てを不安に感じるのは自分だけでないと知る事が出来たのはとてもいい経験だったと思います。入院している間もオットさんは仕事をして帰りに病院に来て足りないものの補充と洗濯物の入れ替え・・・大変だったと思います。
そして予定日1日前病院にて陣痛が始まりました。
陣痛室に移動しオットさんに連絡「まだまだだから大丈夫」と伝えましたがオットさんが焦ってしまいあちこちに連絡。1時間後には病院に親族大集合になってしまいました。
面会時間ギリギリまで傍にいてくれましたが病院の都合で分娩室に移動しないと立ち合いの付き添いは出来ないので帰らないといけません。
外は雪が降り始めました。
「一度帰るけどまた来るからね、大丈夫だからね」そう言って帰っていきました。
初産の私は明日の朝になるだろうと看護師さんに言われゆっくりしていました同じタイミングで入られた経産婦さんの対応にみなさん忙しそうです。
でもどうも様子がおかしい。あまりの痛みと苦しさに看護師さんを呼ぶと子宮口が全開でした。自宅に電話すると寝ていてオットさんは雪の中物凄い早さで病院に駆けつけました。
私を支えて分娩台に乗せてくれて手を握り呼吸を一緒に整えて必死で声を掛けてくれます「赤ちゃんも頑張ってるよ、もうすぐ会えるからね、みんなで頑張ろう」
お隣の経産婦さんも無事に隣の分娩台で赤ちゃんが生まれました。可愛い泣き声が聞こえます。私もあと少し・・・
深夜2時過ぎ 小さいけれど元気な泣き声の女の子が生まれました。
「俺の娘を産んでくれてありがとう」オットさんはもう父親の顔になっていました。
初めての子育て、初めて笑ったあいり
入院中は母親しか子供を触れない病院だったのでオットさんは窓越しからいつもあいりを眺めていました。
「元気だなー」「可愛いな」嬉しそうにしている姿を見ていて私も嬉しくなりました。
この子は私達で守るんだというそんな気持ちも沸いてきました。無事に退院できましたが手伝いにくるはずだった実家の母が風邪でダウン。
いきなり1人で子育てが始まりました。
オットさんは「帰ってきたら家の事はやるから あいり の授乳とオムツ替えだけしてくれればいいよ。少しぐらい泣いても大丈夫だからね」と言って毎日私の昼間の食事を用意して出勤していきました。後から聞きましたが私が入院中育児書を読み漁っていたそうです。
あいりは可愛い
うん、可愛い・・・でも何か違う。あいりは可愛いけど他の赤ちゃんや小さな動物と同じ可愛さ。それ以上のもっと湧き出すような可愛さを感じない。
やっぱり私には母親は無理なんじゃないか。毎日お世話をしながらオットさんはもう父親になっているのに母親になれない自分に焦りと不安を感じました。
「大丈夫だよ 笑ってごらん 赤ちゃんは笑った顏が好きだから」不安な時は正直に話すと決めていたのでオットさんはそう教えてくれました。
笑いながら歌を歌い、話しかけて、外の風にあたり・・・反応があまりないあいりと自分の感情に不安を抱きつつ過ごしました。
そして3か月たった時、ふと目があった瞬間あいりは笑っていました。
「あいちゃん、楽しい?嬉しい?お母さんもだよ!」泣き笑いになりながらあいりを抱き上げました。あまりに嬉しくて写真を撮って姿見の鏡の前であいりの笑顔を写しながら何度も何度も話しかけました。・・・可愛い。
私の赤ちゃん、私の娘、本当に本当に可愛い。やっとお母さんになれたよ。
そしてイクメンのこれから
その後次女ゆめりも産まれあいりも8歳になりました。
毎日喧嘩ばかりですがおませな仲良し姉妹です(*^^*)
オットさんは私達を知人に紹介する時は「私の家族です」と紹介してくれます。気恥ずかしい感じはしますが彼が欲しかった家族になれたのかなと思います。
今では職場の方でイクメンぶりを発揮しているようで・・・
「うちは女子職場、お母さんが働きやすい職場は活気があるんだ。理想はポニョに出てくる「ひまわり」のようにお母さんが保育園のすぐ傍で働ける環境にしてあげること」
色々大変そうです(^_^;)
今度妊婦の職員さんの大変さを理解してもらう為に役職者には妊婦スーツ経験をさせようかと考えているそうです。周りの人も大変そう・・・。
オットさんは家族の事になると一生懸命ですがもちろん抜けてる部分困った部分もたくさん。もう結婚して10年近く揉めたこともたくさんあり周りの方にご迷惑掛けた事も心配掛けた事もありました。
でもオットさんの家族に対する真摯な気持ちは本物だと思って信頼しています。
イクメン旦那をすくすく育てるには・・・やっぱり妻がダメ妻になる事じゃないでしょうか(笑)