明日死ぬかもしれないし・・・生きてる時間を大切にしたいと思います
最近、死を以前より近く感じるようになりました。
今出来ることは何かな・・
娘達に子供が生まれて落ち着くまでは元気でいたいな
もし今私が死んでしまったら、夫や娘達はどうなるんだろう
エンディング・ノートを書いてみようかな・・・
そんな事を考えることが多くなりました。
わかりあえない親戚はそっと見守ろうと思います
長野のバスの事故でたくさんの若い命が奪われたことも衝撃でした。
そして同じぐらい驚いたのがお正月に義理の両親の老いを目の当たりにしたことでした。
義理の父は今年77歳、4~5年前から足腰が弱り最近では短期の記憶があいまいだなと思っていました。
それでも他人に頼るのが嫌いな義理の両親は行政はもちろん息子たちにも自分達の世話をさせる事も嫌がります。
一時期は心配で娘達を連れて頻繁に義実家に通った事もありましたが、あまりいい感触ではなかったのとあいりが小学校に通い始め、あまり時間も取れなくなってきたので自然に足が遠のいていました。
そして義理の母は68歳。元気な人で、やはり他人に頼る事を極端に嫌がる人。
かなり気が強い所もあって、まだ結婚前の私にいきなり
「あんたの世話になんかならないからね!」と言われた時はこのオバちゃん、いったい何を言いたいんだろう?と当時20歳の私には理解不能な人でした。
若い頃から苦労してきた人で失礼かもしれませんが清貧を絵に描いたような人。。。
とにかく他人に頼らず自分の力で生きてきた、贅沢はしないで我慢してきたというのが自慢。そんな感じなので・・・
私が就職をしてブランドのバックをボーナスで買えば怒られw
結婚してお歳暮を出せば「もったいない」とお小言
年賀状まで文句を言われたので、あいりが産まれるまでは付き合いがほとんどありませんでした。
もう何をしても気に入らないようなので一時期は
あの人は宇宙人だから言葉も理解できないし意思疎通も無理!と思い込むようにしていました。
そんな義母が今年のお正月は足を引きづって歩いていました。
今まで染めていた髪も全て白髪、なんだか身体も細く小さくなったように思えました。
義母の老いた姿は淋しく感じました。
義母には怒られるかもしれませんが「あぁ この人はいつかいなくなるんだ」と死を近くに感じました。
そして義母の老いを自分にも重ねるようになりました。
「あの人はいつか死ぬ、そして私もいつか死ぬ。今出来ることは何だろう、娘達に残せるものは何だろう」そんな風に思います。
いつか自分も老いていなくなる。もしかしたら明日事故で死ぬかもしれない。
心の片隅にそんな気持ちがあると今がとても大切に思えます。
大切な人のために自分の時間を使いたい
今、生きていて夫と娘達がいて食べ物があって寝るところがある
そんな環境がとてもありがたいです。
親や兄弟、友達がいてブログに思いを綴れば読んでくれる人がいる
何気ないと思っていた事が感謝の気持ちでいっぱいになります。
夫はよく若い頃から「自分は死ぬ為に生きている」と言っていました。
その言葉はなんだか淋しいな未来や希望を感じないと思っていましたが当時介護の職場にいた夫は私よりずっと近くに死があったのかもしれません。
今、死を迎える前に何が出来るか,残せるものは何か
お正月からずっと考えていますが答えは明白には出ていません。
でも今出来ることは当たり前を当たり前と思わず、生きている事に感謝する事かなと思っています。
長くなった上にまとまらない文章ですみません。
でも思いを書く事で気持ちが整理出来たように思えます。
いつも読んで下さってありがとうございます。
今思えば義母様のお小言も懐かしい・・・w
孫娘達のためにも元気に長生きしてほしいとは思っています。