特技は諦めない事!
ワタシは小学生の頃から本を読むのが好きでした。
1年生の頃には活字の本をふり仮名を振ってもらって読んでいたので幼稚園の頃には本が好きだったのだろうと思います。
それが朗読に変わったのは中学生の時
学校行事でスライドに手作りの影絵を映し、その映像に声をあてるというイベントに参加したのです。
ワタシはカンパネルラの声をやりたくて練習をしたのですが、担当の先生がどうしても「男の子にやらせたい」という事で最終選考で落選
ワタシは家庭教師の役でした。でもその家庭教師は出番こそ1部でしたが、1ページ半にわたる長セリフがあったのです。
ワタシは毎日毎日、暗記するまで練習しました。
その練習の甲斐もありイベントは大成功!感動して泣いてくれる人までいてワタシの中でも達成感でいっぱいでした。
そんな経験もあり、将来の夢は声優になりたいと考え始めました。
丁度、アニメブーム、声優ブームともぶつかって養成所の情報も専門誌には沢山載っていました。
中学3年のある日、父親に意を決して、ずっと温めていた夢を打ち明けました。
「私は高校へは行かず、声優の養成所に行きたい」とお願いしたのですが、
「そんな夢みたいなこと言って食っていけるわけない」と一蹴されてしまいました。
自分の夢を馬鹿にされ、それからは何も考えれられなくなりました。
適当に選んだ学校へ行き、なんとなく就職して、また辞めて・・・
頑張って資格を取った事もありましたが、あまり向いている仕事では無かったと思います。
病院や銀行などで働いていたので、父は機嫌よくしていましたが、あわない仕事と激務に無理が出てしまったのか私は鬱になってしまいました。
パニック障害もあり、外に出ようとすると激しい動悸、夜は眠れず、食事も取れず、体はどんどん痩せていき薬の量もどんどん増えていき、気が付くと「死にたい」と思っていました。
どうせ死ぬなら最後に好きな事をしたいと思ったのはパニック発作で最初に倒れてから半年経った時でした。
近くのカルチャーセンターで朗読の会があったのです。
ほとんど寝たきりのワタシだったので家族は猛反対でしたが、当時お付き合いしていたオットさんだけが賛成し送り迎えしてくれました。
2週間に1度、外に出る、人に会うという事に毎回極限の緊張の中参加していました。
体調不良で行けない日もあったし安定剤が手放せませんでした。
それでも3カ月の1クールを終え、また新しい先生に変わっても通い続けました。
『朗読が楽しい』という所まで気持ちが戻ってきたのは1年が過ぎてからでした。
もっと専門的に勉強したいと思い東京アナウンスアカデミーのナレーション科に入学しました。貯めていた貯金を切り崩し、その学校も1年通いました。
仕事もどうせなら好きだと思える仕事をしようと電話交換や店内アナウンスに仕事に就きました。
そうこうしているうち、鬱の間ずっと支えてくれていたオットさんと結婚し悩んだ末に子供も授かりました。
子供を持つのに悩んだのは薬を飲んでいた事もありますが、好きな喋る仕事を辞めたらまた不安定になるか怖かったんです。
そんな状態で育てられれるのかと両親や義両親に言われ悩みに悩みました。
切迫流産、早産、重いつわりなど、体調不良もあり不安な妊娠期間をすごしましたが,無事に出産。
しばらくは好きな朗読や喋る仕事は諦めなくてはと思っていましたが、それは違いました。
仕事は退職しましたが、あいりに毎日絵本を読み始めました。
4カ月を過ぎる頃には絵本を読むと嬉しそうにニコニコ笑うようになり、仕事として働く事や勉強する事だけじゃない喜びを教えてもらいました。
図書館へ通い、あいりの好きな本を一緒に選ぶのが,私の楽しみになりました。
機会もあり子育てサロンでの読み聞かせやNPO法人で主催している子供ミュージカルのナレーション、友達とネットラジオのMC、市で公募した朗読劇の前座もやらせてもらいました。
諦めない気持ち、やりたい気持ち、そしてアンテナを張り巡らせていれば、きっとキャッチする事が出来ると信じています。
ついこの間、市報で市民講座の募集がありました。
その中に「声劇」という講座の募集があったのです。声劇はずっとやりたいと思っていたのですが主催している場所が遠かったり、自分の条件とはあわず、なかなか出来ないでいました。
でも近くの市民センターなら通う事ができます。でもネックは子供連れが可能かどうか
。申し込む前に問合せをしてみましたが、残念ながらNG.。
残念な気持ち半分、そして近くでもやっている団体が出来たという喜びが半分の気持ちです。
諦めなければ、いつかきっと出来る。
舞台に立って声劇ができる。そう信じて今から体力作りと活舌が落ちないよう訓練しておこうと思います。
今は,いつの間にか薬もいらなくなり「死にたい」という気持ちもなくなりました。やる事が多すぎて、そんな時間が無くなったというの正解かもしれません。
大変な事だってたくさんあるけど、好きな事をして生きていく母の姿を娘達に見せてあげたいと、そして娘達も好きな事に出会いのびのび大きくなって欲しいと願っています。