一人で逝くという事
愛川欽也さんの訃報が流れてから数日。。。
祖母が西村京太郎さんの2時間ドラマは凄く好きだったから気が付けば一緒に見る事が多かった。
ドラマで見る真面目な雰囲気と「なるほど ザ ワールド」で見せる独特な喋り口調と陽気な雰囲気のギャップに子供ながら不思議さを感じていたのを憶えています。
娘たちが産まれるまでは「アド街」も欠かさず見ていたから愛川欽也さんは私にとってテレビにいて当たり前の存在でした。
そんな超有名人の愛川さんが自身の体調不良をひた隠しにされていたのも驚きました。
奥様のうつみさんと自宅療養をしていたそうですが
これを聞いて私は、うつみさん大変だったろうなと感じてしまいます。
逝く人と見送る人
私の実家は数年前、私達が独立してから引っ越しをしました。
もう夫婦と成人した弟だけの世帯で小さな子供もいなかったし、まわりの世代と少しズレていたそうなので、最初はあまり近所との交流もなかったそうですが、当時の自治会の会長さん夫婦が、とても面倒見のいい方達でたまに声を掛けてくださり自治会の集まりに誘ってくださったそうです。
そのうち母と自治会長の奥さんは個人的に気が合ったようで自宅に招いたり招かれたり、たまたま同じスポーツジムにも通っていたので親交を深めていたようでした。
そんな母が奥さんの様子がおかしいなと感じたのは旦那さんが自治会長を退任してから半年ぐらいだったと言います。
ジムにもあまり来なくなり、近所でも見かけなくなったと気にしていたそうですが久々に見かけた奥さんが以前より随分と痩せて見えたので驚いて声を掛けたそうです。
その時は「忙しくてジムに行けないんだ」といつものように元気に話していたそうですが
どうも気になった母は数日後に電話をしてみたそうです。
そうすると実は旦那さんは1年前に癌が見つかった事、もう末期で手の施しようが無い事、まわりには知らせてほしくないという旦那さんの意向で息子夫婦にも知らせていない事、旦那さんが弱っていくのが見ていて辛いけど誰にも言えない事を、
いつも元気でサバサバしていた奥さんが泣きながら話してくれたそうです。
自分の死に際を人に知らせず「心配をかけたくない」という気持ちもわかります。
最後の最後は大事な人とゆっくり時間を作りたいという気持ちもあるのかもしれませんし、もしかしたら自分の弱っていく姿を人に見せるは恥と感じてしまう人もいるかもしれません。
自分の最後をどうやって迎えようと考え、実行するのは自由だと思います。
でも、その最後を一番近くで見送らなけらばいけない人の気持ちは考えられているのでしょうか
亡くなった方を批判する気持ちは、これっぽっちもありません。
でも死にいく本人が一番辛いのが当然ですが長期間看護,介護をする側も相当辛いと思います。
経験の浅い私が感じるよりもっと深い考えがあるのかもしれませんが、その辛さを一番大事な人に一人で味合わせるの忍びないとは感じないのかと私は思ってしまいます。
気持ちの区切りがつけられない
母が声を掛けて半年後、自治会長さんは亡くなられました。
やはり旦那さんの意向で誰にも知らせず密葬という形にしたそうです。
もう亡くなられて2年近く経ちますが奥さんはまだ気持ちに区切りがつけられないと母にこぼすそうです。
それは旦那さんが亡くなったという事を知った訪問客があとを断たないから。
自治会長をしていた方なので密葬を終え自治会に連絡をした後、近所の人が押し寄せて対応に追われたそうですが、それは数日で終わり、ほっとしていたのも束の間
今度は定年退職した会社関係の方が訃報を知り3か月に1度は訪問客がやってくる。
自治会長さんは若い頃全国各地を飛び回る営業マンだったそうで、今ではその頃の知り合いからの電話がまだあとを断たないそうです。
「お墓参りがしたい」と言われれば奥さんは全く知らない方だけど旦那さんがお世話になった人。無下にする事も出来ず自宅に招きお仏壇に手を併せてもらう。
「夫がなくなって随分経つけど、私はいつ解放されるのかな」と奥さん呟くそうです。
お墓やお葬式は残された人のため
最近では近所付き合いや親戚付き合いも希薄になり、家族葬をする人が増えているそうです。なかには故人の意向で全くお葬式という形をしない人もいるそう。
でも私の個人的な考えではありますが、お葬式は自分の為にするのではないと思うのです。残されていく人がお別れをする機会,お墓も、それに準じたしきたりも残された人達が心の整理を付ける為のものではないかと私は思います。
今回の愛川さんの訃報のあとの各著名人のコメントを見る機会がありましたが、知らなかった事を後悔するコメントもありました。
「仲良く思っていたのは私だけ」と思っていても、もう確かめる相手がいない。なんだか気の毒に思えます。
残された人達が自分がいなくても前を向い歩いて行けるように段取りを組んであげるのも優しさなのではないでしょうか。
自分のこと
娘達が産まれてから、まだ漠然ではありますが、私達夫婦も死について考えるようになりました。
「資産になる物も負債になる物も全て最後には無くしておこう、残せる物がもしあれば出来るだけ現金にしておいてあげようね。」と夫と話しています。
私は以前、女優の有馬稲子さんが自宅を引き払い居宅型の老人ホームに入ったというテレビ番組で「大事な着物と今、必要な物しか持っていない,私は1人だから残してしまうと困るでしょ」と仰っているのを聞いて聡明な方だなと思いました。
残す事だけが良い事ではないのですね。整理しておいてあげないとと思います。
私も娘達に残したい形見以外は処分しようと考えています。そう思うと今から「最後は処分するんだしいらないか」と買いたい欲求が減ったように思います。
「お葬式は小規模でいいから、きちんとしないとね。」とも話します。
お葬式は、もし可能なら私は生前葬が出来たらと考えています。
まだ知識不足ですが,生きている間に私も感謝を伝える機会をきちんと作りたい、招かれた側が困惑してしまうかもしれませんので難しいかもしれませんが小規模で親しい人だけでも、きちんとお別れの機会が作れればと思います。
その他にも夫は「お墓は日本は土地が少ないからいらない、維持費も大変」という事で山に散骨する事を望んでいます。散骨する際に家族が骨を砕くという事を希望すればできるそうですが、私は「遠慮する」と今の時点では伝えてあります。少し夫は淋しいそうです。
私はお参りする場所があった方がいいかとは思うのですが娘達に負担は掛けたくないので合同葬を考えています。樹木葬と言って好きな木を植えてもらえる合同葬もあるようですね。今から探しておきたいと思っています。
核家族化が進み時代は変化しても「最後の時に」向き合う方法はまだ多様化はしていないように思います。
それでも最近では終活やエンディングノートという言葉もメジャーになってきて、タブーから少しずつオープンになってきたのかもしれません。
予定通りに行かないのが人生ではありますが、最後をあらかた決めておけば、おのずと今すべきことが見えてくるのでは・・とも私は思います。
「心配をかけない」=知らせないではなく、いかに負担を掛けず残していく人に前を向かせてあげられるか、それが逝く側の最後つとめではないかと私は思います。
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